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ハウシュヴィッツ収容所からこんにちは

ハウシュヴィッツ収容所からこんにちは

「正常な快感」

「正常な快感」

 人は誰でも不幸をしりぞけ幸福になりたいと思っている。人は誰でも不快感を嫌い、快感を好む。けれども快感というものは、不快感がなければ存在しないことに早くみんな気づいて欲しい(特に自分が一番早く気づいて欲しい)。悪があるから善があり、不運があるから幸運があり、左があるから右があり、上があるから下もあり、糞があるから小もあるように。もし糞だけをする動物がいたら、水分や毒物がたまり、すぐ死ぬだろう。もしくは小だけをする動物がいたら、便秘で死ぬだろう。しかし私は生物学はあまり詳しくない(機械工学や自然科学、文学や社会学、政治や経済学、その他もろもろも詳しくないが)から、もしそういう生物を知っている、という人がいたらぜひ教えて欲しい。素直に私がまちがっていたと認めよう。

 しかし不快感があるから快感があるという真理は変わらないと思う。例えばフルマラソンは終盤相当辛いだろうけど、ゴールしたときの快感ときたらすごい!(私は百メートルを小走りで走るだけで喘息になるほどの体力をもっているが、残念ながらフルマラソン完走の快感!を味わったことはない)と思う。他にも、サッカー選手が試合が終わったあとに飲む、一杯の冷たいポカリスェットなんて最高にうまい!(これなら実際に体験したことがある。ただし選手ではなく補欠部員だったが)それに、犬がご飯を我慢して待ったあとの、あのガツガツ音はいかにも快感フレーズに聞こえる。「待て」をさせなくても、犬はガツガツ食うが、よだれを垂らすまで待たせた後のほうが、犬もよりガツガツ食う快感を感じているにちがいない。ほかにも、セミは幼虫時代、地中で7年間暗く過ごすが(そういえば自分のひきこもり生活もちょうど7年だ。しかしまだまだ幼虫)その後、青い空の下をすごいスピードで飛び回ったり、まるでジャイアンのように歌う快感といったら、それはすごいにちがいない!そして交尾相手をみつけ(以下想像にお任せする)

 このように不快感と快感は切っても切り離せない関係である。そういう視点でみると、長く苦しいひきこもり生活を続けてく人の、最後の快感といったら凄まじいものがきっとあると信じている。だからといって、ひきこもり生活を勧めているわけでは決してない。なぜなら人生が無意味だと脳髄まで感じてしまう確率が、非常に高いからである(人は愛し愛されるためだけに生まれて来たため、その対象を失うと・・・)。そしてそこから出ようにも出れなくなる。その引き裂かれんばかりの苛立ち、絶望、虚無は果てしなく自分と世界を見る目を蝕んでいく。それに歯もよく虫歯まれていく(歯痛を馬鹿にしてはいけない、歯痛を苦に自殺した人の話をどこかで読んだ。きっと歯医者が存在しなかったか、ひきこもりだったからだろう)。ただ初めにもいったようにものすごい快感もあるだろう。セミは一週間だけしか地上で暮らせないが、その快感はすごいように。しかし、ひきこもりがものすごい快感を感じる時間は、狂うかなんかりしなければ、死ぬ前の一瞬しかないだろう。セミよりも短い。


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